NANOLYS®開発の想い
リポソームとの出会い
長谷川香料 技術研究所の越知です。出身は東京、農学系の大学を卒業し、長谷川香料に入社しました。小さい頃から肌が弱く、いわゆる敏感肌だったため、肌が荒れていて「痛み」がある状態が当たり前の人生でした。就職が決まった大学4年生のある時、姉から「あまりにも顔がボロボロで酷いので、会社に行くなら何か塗った方が良いよ」と言われ、勧められるまま化粧水と乳液を塗るようになりました。スキンケアとの出会いはこの姉の一言でした。その後いくつもスキンケア製品を試し、自分はべたつきのない化粧水が好みであることと、リポソームを使用した化粧品であれば刺激が少なく、肌に合う事が分かってきました。そして使い続けるうちにようやく痛みが引き、「『肌が落ち着く』とはこういうことか!」と自らの肌状態を自覚できるようになるとともに、リポソームの虜になりました。
自宅でのリポソーム開発と妻のひと言
ちょうどその頃手作り化粧品が流行っており、通販で色々な材料が売られていました。中にはリポソームの原料となる水添レシチンなどもあり、「もしかしたら刺激の少ないリポソーム化粧水を自分で作れるかもしれない。」と週末は趣味としてリポソームの化粧水作りに朝から晩まで没頭していくうちに、ひょんなことからブレイクスルーがあり、今のNANOLYSの原型とも言えるプレリポソームとリポソーム化粧水の開発にこぎつけました。自分自身で使用していると、肌がみるみる改善していくのを実感するとともに、「この化粧水であれば、自分だけでなく肌の悩みを抱えている世の中の多くの人の役に立てるのではないか?」と思うようになりました。しかしながら折しも第一子の誕生という節目を迎え、週末の化粧品づくりの趣味を封印することになりました。またそのうち再開できると思っていたのですが、やはり子育ては目の回るような忙しさで、このままでは自分のライフワークである化粧品作りの再開はいつになるかわからないと思った私は、妻に相談をしました。
「このリポソーム開発を仕事にしたい。独立するのも良いが、まずは自分を育ててくれた会社に相談したいと思うがどうか?」と。そうすると妻は「なぜ会社に相談しないのかずっと思っていた。あなたのやっていることはいずれ世に出るべき技術。まずは会社に相談すべきだと思う」と後押ししてくれました。
そして事業化へ
意を決して会社に相談したところ、時の上司にも恵まれ、早速翌日には関連部署のメンバーを集めてプレゼンとなりました。しかしそこからが難しい。私自身はできていると信じて疑わなかったのですが、学術的にその存在が確認できない限りは、会社組織としてはゴーサインが出せません。研究所内からは厳しい声も多く、自分では長らくリポソームだと思っていたけれど、本当はそうではないのかもしれない、と弱気にもなってきます。自分にも自信が無くなってきていたそんな中、当時の研究所長から、「電子顕微鏡で確認すればいい。確認してもらえるところを探して是非やってみろ」と指示が出ました。大きな前進でした。結果的には、とある施設に電子顕微鏡像を撮影していただき、最終的にその存在を認めてもらうことができました。その時の喜びは忘れられません。自分が追い求めていたものが業界の常識を超えて実現できていることが証明された瞬間でした。その後2016年にフレグランス研究所に異動し、現在は技術研究所でリポソームの研究を続けています。
「世の中全ての敏感肌に革新的なナノソリューションを」 “Innovative Nano Solution for Sensitive Skin“というブランドメッセージは、私と長谷川香料の想いが融合したブランドメッセージです。このプレリポソームが世の中全ての敏感肌で悩む人に「届け。」という想いがとても良く表現されていると思っています。いつの日かリポソームといえばNANOLYS®という時代が来るように、これからもNANOLYS®の研究を進めていきたいと思います。